東海北陸自動車道において、最大の難関は飛騨トンネルでした。
高速道路のトンネルとしては国内で2番目に長い全長10.7キロ。
先進技術を駆使しながら、約600人の作業員が二十四時間態勢で工事を続け、2007年1月に本坑の貫通を迎えることができました。貫通にかかった年月は、実に9年半に及びます。
飛騨トンネルは、最大で1000mを超える土かぶりのため、相当に硬く、高い圧力がかかり、大量の湧水が予想されました。本坑に先立ってTBMを用いて施工した避難坑では、崩れやすい地山、青函トンネルを超える大量の湧水などで掘削、長期の停止を繰り返し、ついには2005年9月、貫通まで残り300mの地点でTBMが大量の土砂に飲み込まれて破壊され、身動きできない状態に。TBMによる掘削を断念し、反対側からのNATMによる掘削で2006年3月31日に避難坑は貫通しました。避難坑の後を追い、本坑も2007年1月31日貫通。避難坑掘削開始から9年半を要した難工事は、死亡事故ゼロで貫通を迎えることができました。
飛騨トンネルの掘削にはTBM工法が採用されました。TBMとは、トンネル・ボーリング・マシーンの頭文字を取ったもので、いわばハイテクの粋を結集した「鉄のモグラ」です。ローラーカッターのついた板をコンピューター制御で回転させながら、ドリルのように掘り進みます。飛騨トンネルの掘削に採用されたTBMは、直径12.8メートルという、山岳トンネルで使用されるものとしては世界最大級の大きさです。
全長1.7kmにもおよぶ、前代未聞の規模の不良地山が出現しました。鋼鉄製の支保工は飴のように曲がり、ちぎれ、ロックボルトは破断し、底盤コンクリートは裂けて1.2mも盛り上がり、まるで大地震のあとのような惨状でした。連日深夜まで対策を検討しました。3交代で休みなく作業を続けても、1日に進める距離はわずか1〜2mと、いったいどこまで続くのかと弱気になることもありました。
不良地山帯を突破すると、息つく間もなく、今度は大量湧水が襲ってきました。坑口湧水量は最大毎分70トンにもなり、1年以上も続きました。いったいこんな大量の水はどこから来るのか想像もつかず、大自然の偉大さを思い知らされたのです。現場では排水管の施工が間に合わず、長靴を越える湧水に、「胴長」をはいて現場へ入ることもありました。また、白川郷の雪の降りしきる坑外で、ずぶ濡れになった作業服を着替える毎日は非常につらく、あまりの寒さに、たびたび飯場の風呂に入らせてもらいました。
その後、掘削は比較的順調に進んだが、貫通まで約300mと迫った昨年9月、太郎は最後の破砕帯にぶつかり身動きがとれなくなってしまいました。日本のトンネル工事史上例を見ない、60気圧もの高圧湧水、強大な土圧により、マシンは大きく潰されてしまったのです。機械内部の解体に先立ち、長きにわたり苦労を共にしてきた太郎の最後のケーブル切断は、皆が見守る中、作業現場の所長自らの手によって行われました。
「本坑に先行して地質を確認し、水を抜く」という使命を全うし、力の限り掘りきった彼は、支保の一部として残され、飛騨トンネルを見守ります。
トンネルには、自動車の排気ガスを放出するための空気の通り道が必要です。長くて大きなトンネルの場合、一般的には換気立坑と呼ばれる縦穴が設置されますが、飛騨トンネルは、円形断面の下半分を換気坑として利用した世界初の「選択集中排気式縦流換気システム」を採用しています。これにより延長の長いトンネルとしては世界でも珍しい、換気立坑のない換気システムとなっています。